住宅建設の現場で瑕疵は誰のせいなのか?【2014年7月号掲載】のあとがき

このコラムで言いたかった事、それは『金額に合わせて無理な仕事をしろと要求しないで。相手は必ず予算に合わせて仕事をしますから』                       

このコラムは韓国の雑誌メディアの為に書いたものですから『韓国の社会蔓延している安全不感症という病』という表現をしましたが、こういう関係(現象?)はあながち韓国だけでの社会現象ではないのではないでしょうか。

エンジニアリングの用語に『フール・プルーフ』『フェイル・セーフ』というものがあります。『フール・プルーフ』というのは『専門知識のない誰もが使えるように』という概念、『フェイル・セーフ』というのは『故障しても安全が確保される』という概念です。この二つの概念が守られない建築物を造れと発注する事自体が無理難題なのであり、あなた自体が社会に対する加害者なのだという事です。

このコラムの掲載時、読者から特に反応が大きかった表現があります。「言い得て妙」「自戒の念と共に今後は肝に銘じる」とメッセージを送ってくれた方もいました。

『現実には存在しもしない坪当たりの工事費という亡靈を追いかけ』

この文章を読んだ皆さんが決してそんな愚かな事をしない様にと願うばかりです。

住宅建設の現場で瑕疵は誰のせいなのか?【2014年7月号掲載】

以前、郊外にある宅地で戸建て住宅の設計を依頼された時のことです。

その宅地は傾斜地を階段式に造成し、合計三十二の敷地に分割されていました。敷地の基準となる地面の高さ(レベル)に一定以上の高低差があるので、当然のことのように擁壁工事が必要でした。そこで各敷地を手に入れた施主さんたちは代表団を選出し、宅地全体の擁壁工事を行いました。ところが、その工事が終わって十カ月も経たない内に問題が発生したんです。上の敷地の土砂が下の敷地の方に次から次へと流れ込み、石積みの擁壁の一部は完全に崩れ落ちました。そこで施主さんたちは土木会社に対して手抜き工事の責任を追及し、補償と事後処理を要求することにしました。

 

私がクライアントと一緒に現場を訪れた当日、丁度施主さんの代表団は擁壁工事の担当業者を呼び出して、現場検証をしていました。代表団の人たちは「手抜き工事なのは明らかなのだから、無償で補強工事をしろ」と抗議しましたが、現場監督は「手抜き工事じゃありません」という言葉を繰り返すだけでした。彼の態度にしびれを切らした施主さんの一人がこう言いました。

「じゃあ、アンタ。アンタの家族が、ここに家建てて住んでるって仮定して見ろよ。アンタの娘さんが、この擁壁の前で走り回って遊んでて、アンタ安心できるのかい?」

その現場監督は言葉を返すことが出来ませんでした。

 

その後、私はクライアントと代表団の中の数名の方と一緒に昼食を食べる事になりました。彼ら手抜き工事の話をしながら、私の意見を求めて来ました。私は逆に土木工事の内訳について幾つかの質問をしてから、こう返事をしました。 

「土木業者が、その予算ではちゃんとした工事は無理だと言いませんでしたか?」

                                                         

韓国の社会に蔓延している『安全不感症』という病は「安全については考えるな」という「悪意」に端を発している訳ではありません。その根底にあるのは『金額に合わせて仕事をすればいい』と考えている業者の態度と、『予算に合わせて仕事をしろ』と無理強いする発注者側の態度です。

 

例え話で説明するならこんな話です。あなたはオーダーメイドの依頼を受け、自動車をカスタムしているエンジニアです。ある日、新しいクライアントが訪れ、あなたにこんな注文をします。

「500馬力のエンジンで最高時速300キロ、車重2.5トンぐらいの頑丈なボディのスーパーカーを頼むよ。ただ予算が無いから、ブレーキとサスペンション周りは軽自動車用のパーツでお願いね」

ここで一人目の『安全不感症』の患者は、注文をしたクライアントです。そしてこの注文をそのまま受け入れた瞬間、あなたも二人目の患者さんになるのです。自らが『安全不感症』の患者になる事を拒否するエンジニアならば、クライアントにこう返答しなければなりません。

「自動車は、どんな場合でも安全に停まれるように造らなければならないんです。だからブレーキとサスペンションも車体やエンジン出力と同じレベルでバランスが取れてないと駄目なんですよ」

しかし残念な事に、現実の世界でこんな返事をする事は困難です。正しい主張をするあなたに返って来るのは、顧客の不満に溢れた眼差しです。 

(それらしい理由付けて、高く売りつけようって魂胆か? オレが自分の金払って仕事をやるって言ってるのに、何を偉そうなこと言ってんだ? オレも調べる事は全部調べて来てんだよ!)

 

施主は自分の予算に合わせて業者に仕事をさせ、業者は施主が支払う金額に合わせて仕事をするという現実が『安全不感症』という病原体をまき散らしています。私たちは加害者であると同時に被害者として生きているのです。そして不幸な事に、戸建て住宅の建築の現場でも同じ事が繰り返されています。一部の施主さんたちは、現実には存在しもしない『坪当たりの工事費』という亡靈を追いかけて業者を選択し、図面を元に正確に物量が算出された見積りを出されても『安くしてよ』と泣きつきます。そして工事が終わる頃になると、どんな理由を付けてでも残金を値切ろうと躍起になるんです。

半面、殆どの業者は契約書にサインをさせようと、聞こえの良い『坪当たりの工事費』で施主さんを誘惑します。そして見積りを出す時には、工事費残金の未回収に備え、その分だけ見積りの金額を水増しします。そんな消耗戦の果てに『予算に合わせて』仕事をさせ、『金額に合わせて』仕事をする、悪循環の底なし沼へ皆が足を踏み入れているんです。

 

「幸せな家造り」は、お互いに対する認識と関係を変えるところから始まります。施主さんと建築家、施工業者がお互いに『より多く』を奪取しようとするならば、その現場は不幸になるしか残された道はありません。お互いに「共同のミッションを成功させる為に協力」してこそ、各自がより多くの利益を得る「プラス・サム・ゲーム」に変わる瞬間が訪れるのです。

私と相手、ではなく「私たち」という関係を作り上げる為には、互いに心を開いて質問をし、相手の返答に耳を傾けるという努力が必要です。そんな時間を通じて「私たちの幸せな家造り」が増えて行けば、知らず知らずのうちに『安全不感症』という慢性の病も徐々に癒されて行くんじゃないかと、私は期待しています。

 

工業製品にも国民性が出る?

ちょっと時間が経ったネタですが、9月の中旬に車のエンジンオイルを交換しました。ある日エンジンを掛けようとキーを捻ったところ(ちょっと車種なので)、液晶パネルにこんなメッセージが表示されました。

​「top up the engine oil level」日本語に直せば「エンジンオイル継ぎ足してな」

前回オイルを交換したのが昨年の12月末(その時点で9カ月前)で、オイル交換周期の目安の 5,000キロ近く走行していたので「継ぎ足し」せずに交換する事にしました。

この車のエンジンオイルの容量は4.5リットル。4,600キロ程度を走る間に1リットル程が減った計算になるんですが…その減り具合も、整備工場の大将によれば「きわめて正常な範囲です

​それから整備工場の大将としばらくの間、雑談をする事になりました。

「フランスのエンジニアってエンジンオイルを消耗品ぐらいに考えてるみたいなんですよね。ディーラーの整備担当者と話をしてみると、エンジンかけてすぐの冷間時とエンジンが熱を持った時では金属の収縮・ 膨張現象の影響でピストンとエンジン・ブロックとの間隔が一定じゃないから最初から設計をそういう仕様にしてるって言うんですけどね…でもおかしいじゃないですか、フランスでも日本でも金属の収縮・ 膨張率は同じでしょ。だったら日本車のエンジンでも同じ様にオイルを沢山消費してこそ理屈に合ってる訳でしょ」

こんな話があります。

昔のメルセデスベンツは故障が少ない自動車メーカーとしてよく知られていました。しかし初代のMクラス(SUV)をアメリカ市場に向けて開発し、アメリカ現地にある工場で生産して販売を始めてからは、その評価にはケチが付き始めました。初代のMクラスは故障が頻繁に起こる車として悪名が高かったのです。

​それから、こんな話もあります。東ドイツを吸収して統一した後のドイツの自動車業界は、政府の方針に従い(旧東ドイツ地域の産業活性化の為に) 自動車に使用される各種の配線(ハーネス)類の納品業社を旧東ドイツ地域の企業に変更したと言います。それでドイツの東西統一後、2000年代の初頭までに生産されたドイツ製の車種の中には電気系統等、配線関係の問題による欠陥や故障が多かったと言います。

日本の自動車メーカーの製品も以前のようではありません。どの国で生産されたかにより、耐久性や故障率に差が出ると言われています。どんなに設計を他の国で行っても何の意味も無いのです。結局、実際に製品を造る現場で、その場で働く人たちが「まぁ、こんなもんで良いだろ」と考えるその水準(standard)が、その国の工業製品の規格(standard)になる、という話です。

あの日あの場所で起こった事【2014年6月号掲載】のあとがき

このあとがきは、ポスティングしてから約1か月半後に書いています。このエッセイは、雑誌に掲載された当時最も反響が大きかったものの中の一編です。でも結局のところ、何も変わらなかったみたいです。私は『自らの行動をデザインする』という努力が必要なのだと訴え、全ての人々が各自の立場で正しい判断と行動できる日が来る事を祈りました。その祈りは届かなかったみたいです。

 

去年ソウルのイテウォンで多数の被害者を出したハロウィンの日が又近付いています。

あの日あの場所で起こった事【2014年6月号掲載】

今回も余りにも悲しい歴史が繰り返されてしまいました。韓国の社会は聖水大橋の崩落(*1)、三豊百貨店の倒壊(*2)などの過去の痛ましい出来事から何の教訓も得られないまま、無駄な歳月を過ごしていたみたいです。この国全体にはびこる総体的な脆弱性を、今回の惨事を通じて今一度痛感させられました。このような事件が二度と繰り返されない事を祈るばかりです。  (筆者注 *1 聖水大橋の崩落…1994年10月21日、死者32人負傷者17人。*2 三豊百貨店の倒壊…1995年6月29日、死者502人負傷者937人行方不明者6人)

『その瞬間その場所で、一人一人が各自の立場で正しい選択と行動をしてさえいれば』被害を最小限に留める事ができたのに、という残念さを感じずには居られません。こんな私たちの現実を前に一つの教訓になるのではと思い、別の時代別の場所で起こったとある出来事を、今日は紹介したいと思います。

 

1977年、ニューヨークのマンハッタンにシティコープ・センターという五十九階建てのビルが完成しました。このビルはその当時世界で七番目に高い建物でしたが、それとは別の理由で有名になりました。建物の一階から九階の高さまでがピロティ構造になっていて、四本の太い脚柱が五十九階建ての高層ビルを支える構造だったのです。一般的に建物を支える脚柱は四隅に造るのが常識ですが、この建物の場合はそれぞれの壁面の中央部分に一つずつの脚柱が配置されていました。実はこのような構造になったのには特別な理由がありました。元々この場所はセント・ピーター福音ルーテル教会が所有している土地だったのですが、「元と同じ場所に新しい教会を立ててくれるのならビルの建築に同意する」というのが教会側の出した条件だったのです。土地の一角には教会を元通りに建てなければならなかったので、それぞれの壁面の中央に脚柱を配置するしか方法がありませんでした。この独特な構造デザインを考案したのはプロジェクトの総括構造エンジニアだったウィリアム・ルメジャーという人物でした。

 

シティコープ・センターの全体像と実際の姿(www.wikipedia.org)

ルメジャーは脚柱の配置のせいで不安定になってしまう構造的な弱点を克服する為に、八階ごとにV字型の骨格を持つ特殊な構造を採択しました。しかしこの構造では、高層ビルであるにも関わらず建物の重量が異常な程に軽くなってしまい、風が吹くと建物が大きく揺れてしまうという弱点があったのです。この問題に対して、ルメジャーは建物の傾斜屋根の内部に同調質量ダンパー、すなわち重さ四百トンの錘を浮かべたオイル・タンクを設置することにしました。建物の揺れと反対方向に錘が動くことで風の力を相殺して全体のバランスを常に維持するという妙案を考え出したのです。あまりにも独創的なその構造と問題の解決方法に、当時の人々は大きな讃辞を送りました。

 

さて、建物が完成した翌年の1978年六月。ルメジャーの部下が一本の電話を受けたところから、この世にも数奇な物語は始まります。プリンストン大学で建築を専攻していると自己紹介をしたその女学生は、受話器の向こう側でこう言ったのです。

「シティコープ・センターは強風が吹いたら倒壊すると思うんですが」

彼女は卒業論文を書く為にシティコープ・センターについて研究する過程で、この建物が構造的に斜風(建物の四隅が45度の角度で受ける風)に対して脆弱である事を知ったのでした。彼女は「まさかそんな事が? 専門家が造った建物なのに」と思いながらも、もしかしたらという気持ちで電話を掛けたのでした。普通の建物は四隅の部分が構造的に最も強固で、壁に向かって直角に吹きつける垂直風が建物に最も大きな負荷を与えるものです。しかしこの建物はその特異な構造のせいで常識が通用しなかったのです。

ルメジャーも勿論、垂直風に対しては充分に考慮していましたし、建築許可を得る為に必要な構造強度も当然のように計算していました。しかし斜風は完全な盲点でした。彼は部下から電話の内容を伝え聞き、取り敢えず斜風が建物に与える影響を計算し始めました。そして、その結果は学生が指摘した通りでした。

 

そこでルメジャーは、シティコープ・センターが耐えられる斜風の最大風速を算出してニューヨークの気象データと照らし合わせてみました。その結果、建物を倒壊させ得る規模のハリケーンが、五十五年に一度の頻度でニューヨークに上陸しているという事実を発見したのです。それが今年なのか、五年後なのか、それとも三十年後なのか知るすべはありません。しかし大型ハリケーンのせいで五十五年以内に必ず倒壊してしまう巨大な凶器を、彼はマンハッタンのど真ん中に造ってしまったのです。

しかもこの結果は、あくまでもルメジャーが考案した同調質量ダンパーがきちんと作動している事が条件でした。もしかしたらハリケーンの上陸によって停電が発生する可能性もあります。その場合、同調質量ダンパーは風の力を相殺するのではなく、逆に建物をより一層激しく揺らす方向に作用します。そんな場合を仮定し再計算をしてみると、シティコープ・センターを倒壊させる規模の大型ハリケーンは、十六年に一度の頻度でニューヨークに上陸する、という遥かに絶望的な答えが出てしまいました。

 

ルメジャーは当時「この危機を知っている人物は、地球上に私しか居ない」という事実を痛感したと語っています。科学やエンジニアリングの領域では、特定の専門家だけが『誰も知らない新しい事実や可能性』を事前に知ってしまう場合が多々あり得ます。その瞬間、その専門家はどうすればいいのか? 彼らの行動によって、その後の結果、社会や環境に与える影響は、バタフライ・エフェクトのように大きく変わって来るのです。ルメジャーは、とあるインタビューで「その可能性を知った時、自らの命を絶つ事も考えた」と回想していますが、そのような極端な選択はしませんでした。そして自らの名声に傷が付き、莫大な経済的な損失をこうむる事を心配する代わりに、ルメジャーはただひとえに「自分のミスのせいで生じてしまったこの危機を、どうすれば未然に防ぐ事が出来るだろうか?」だけを考えたのです。

 

彼はこう語ります。

「自分の子供が水に溺れた時、全ての親の行動は明らかです。すぐさま水の中に飛び込んで、死に物狂いで子供を助けようとします。そうしなければ、自分自身を許すことが出来ないからです。この建物に対する私の心情も同じものでした。(中略) そこには倫理的な観点から検討する余地もありませんでした。公共に危害を及ぼす可能性が有るものを造ってしまった場合、専門家としてどうすればいいのか? 答えは一つしかありません」

世界の全てのエンジニアは、ルメジャーがそうだった様に公共の安全を最優先課題と考えた上で、自らが被る事になる不利益を計算する事無く、直ちに本人が取り得る最善の行動を選択しなければなりません。そして問題を解決する為の行動を取るという決心と同じ位に、最善の結果を得る為に『自らの行動をデザインする』という努力が必要なのです。

 

ルメジャーはシティコープ・センターの危機を未然に解決する為、足早に行動を起こしました。七月三十一日、本人が加入していた保険会社と顧問弁護士に協力を要請し、その翌日には建物のオーナー企業であるシティコープの副社長に状況をブリーフィングしました。二日後にはシティコープのCEOとのミーティングの席で補強修理についての全面的な協力の約束を取り付けました。行動を起こしてからたった四日後の八月三日、ルメジャーは補強工事を請負う業者と工事計画について協議していたのです。

 

ルメジャーはこうして建物の構造補強工事をスタートさせると同時に、危機を未然に防ぐ為に数多くの対策を講じていきました。ハリケーンによる停電が発生した場合に備えて、同調質量ダンパーの補助電源を確保しました。ニューヨークの市当局と警察の協力を得てビル周辺10ブロックの緊急避難計画を準備し、もしもの事態に備えて赤十字のボランティア二千五百人を常に待機させました。そして気象情報サービスを提供する三つの企業に依頼をして、二十四時間不眠不休の体制で暴風雨に対するモニタリングを続けたのです。また補強工事の現場では建物の入居者たちが不安がらないようにと、毎日入居者が退勤した後に徹夜の溶接作業を進め、日の出と共に作業を中断して出勤時間前には完全に撤収するという作業を繰り返しました。そんな中、九月一日にはハリケーンがニューヨークの沖合まで接近しましたが上陸はせず、幸いな事に大惨事は起きませんでした。

 

その年の夏が終わりを迎える九月の中旬、シティコープ・センターの構造補強工事は終了しました。工事に投入された正確な費用は公開されていませんが、少なくとも当時の金額で四百万ドル以上ではなかったかと推定されています。しかし補強工事の代金を最終的に決済するこのビルのオーナー企業、シティコープは、ルメジャーが加入していた保険の支払上限額である二百万ドルだけを受け取って、それ以上の費用の補償を要求しませんでした。また、彼が危険を未然に感知して必要な処置をした事で、損害保険の歴史上で最悪の損害を未然に防ぐ事が出来たと、保険会社も事件以降にルメジャーが納入すべき月々の保険料を、逆に引き下げたと伝えられています。

 

エンジニアとして『公共の安全、健康、福祉』を最優先にし、素晴らしい意思決定を下したルメジャーはこう語っています。 

「エンジニアや医者などの専門職に従事している人たちが、絶対に忘れてはならない基本的な原則はただ一つです。『人々を脅威に陥らせないこと』」

 

この出来事はその後十七年もの間、当時の関係者の他には誰も知らないストーリーでした。しかし、あるジャーナリストがパーティーの席でこのエピソードを片耳に挟んだことから状況に変化が起きたのです。そのジャーナリストがルメジャー本人に確認したインタビューを基に1995年『ニューヨーカー』誌に発表したスクープ記事でこのストーリーは紹介され、広く世人の知る所となりました。 

 

世間の人々はシティコープ・センターのエピソードについて語る時、いつもルメジャーという人物の素晴らしい判断と行動にフォーカスを合わせて話を進めます。 けれど、私はこう思うんです。

当時二十一歳だったプリンストン大学の学生ダイアン・ハートレー、彼女が電話を掛けなかったら?  

彼女の電話に応対した部下の社員が「一介の大学生が生意気な」と通話の内容を上司に報告しなかったら?  

ルメジャーが自らの業績を過信して再検証をしなかったり、その事実を隠す事に必死だったりしたら? 

保険会社の担当社員や弁護士が、顧客の利益を保護する為だとうそぶいて、ルメジャーに「事実を隠蔽しよう」と持ち掛けていたら?

シティコープの取締役役員たちが、補強工事をする代わりに秘密裏に資産の売却を決定していたら? 

世界はまるで違う、悲しい歴史を記憶に刻んでいたはずなのです。

 

韓国に住んでいる全ての人々が各自の立場で、このエピソードに登場する全ての人々がそうだった様に、正しい判断と行動をすることが出来る日が来る事を心から祈りたいと思います。そして今、余りにも大きな悲しみを前に虚脱感を感じ、道に迷っている数多くの方々にお願いしたいのです。あの日何気なく掛けた一本の電話で、本人も知らないうちに数多くの生命を救ったダイアン・ハートレーのように、自分自身の良心に忠実な行動が出来る人になって欲しいんです。それだけが、私たちがあの日救う事が出来なかった人たちの為の本当のレクイエムなのではないでしょうか。

Style or Stylish? 【2014年5月号掲載】のあとがき

このコラムで言いたかったことを要約すれば、こんなものじゃないかと思います。

「私たちは本人も知らないうちに、今まで見て来た物や事を絶対的なモノサシだと信じ込んでしまい、その枠組みの中で苦悩と想像を繰り返してるのではないか?」

それは家造りに限られた話ではありません。日常生活中で繰り返される色んな意思決定の過程でもそんな『間違って積み重ねられた経験値』に振り回されているんじゃないでしょうか。

『スタイル(Style)』と『スタイリッシュ(Stylish)』の話を『家』から『人』に置き換えても同じことが言えます。『スタイルがある人』と『スタイリッシュな人』は全然違いますよね。自分だけの感覚をちゃんと信じ、その感覚を憶え込む訓練をしてみようじゃないですか。

Style or Stylish? 【2014年5月号掲載】

副題:空間に対する自分だけの感覚を探して…

 

先月のコラムでも言及しましたが、戸建て住宅の殆どは注文制作(オーダーメイド)であって既製品(レディメイド)ではありません。世界にたった一人しかいないあなたとあなたの家族の好み通りに家を建てると、その家もやはり世界にたった一つしかない特徴や性格を持つことになります。ところが色んな施主さんたちと会話をしてみると、こんな思いが頭に浮かんで来ます。

「この人たちは本人も知らないうちに、今まで見て来た既製品を絶対的なモノサシだと信じ込んでしまってから苦悩と想像を繰り返してるんじゃないだろうか?」

いつも見ていたもの、慣れ親しんだもの、流行しているものに目を奪われて、結局はまってしまう落とし穴。間違って積み重ねられた経験が、むしろ家造りを控えた施主さんの足を引っ張っているんです。

 

マンションの一つの階を切り取って地面の上に置いたからと, 住みやすい戸建て住宅になる訳ではありません。マンションは元から建築物の形態が四角形になるように設計されています。単純化された二、三の外壁の側にだけ窓を設置するので開放感が少なく風通しや換気、日照の条件に置いては全てが不利な形なんです。それじゃあ何故、こういう短所を克服した集合住宅を造らないのか? それは集合住宅の建築においては、ビジネスのロジックが最も重要視されるからです。

建設会社が建築費を減らそうとして外壁の面積を最小化できる形を探すと、一番目の答えが円形で、その次が正方形です。でも、円形は建築物の外形を造る費用がかさむのでアウト、結局正方形だけが残るんです。

反対に高級マンションになればなる程、室内の壁は増えて平面計画は複雑になります。高級な仕上げ材を張り付けられる壁が沢山有れば有る程『高そうに見える家』を造り易く、分譲価格を引き上げる事が出来るからです。結局、こういうビジネスのロジックだけで埋め尽くされた集合住宅の分譲マーケットでは、人々は落とし穴にはまっている事にも気付かないまま見慣れたものを『良いもの』と感じて購入することになるんです。

 

建物の配置や庭造りに関しても同様の事が言えます。韓国の人たちは真四角な庭を並外れて好みます。建物をアルファベットの「I」や「L」字の形にして敷地の片方の端に寄せて配置して、四角い庭を造って芝を植える。そんな姿を見ているとハリウッド映画の影響力は凄いんだなと思います。『映画の主人公が住んでいた家』がいつの間にか『自分が住んでみたい家』の典型的なイメージとなってしまったのです。しかし、こういう建物と庭の配置はアメリカの住宅業者たちが郊外の住宅地を大きな規模で開発しながら、簡単に分譲できる家を造ろうと開発したパターンに過ぎないんです。ここから始まった『四角くて広い庭と青い芝、そして絵に描いたような家』に対する幻想は、韓国の戸建て住宅やタウンハウスで今でも繰り返されています。

 

笑えない状況は他にもあります。郊外の住宅地やタウンハウス等では、傾斜した地形に階段式の配置でそれぞれの敷地が造成されている所が多くあります。前面の道路と接している場所には地下の駐車スペース用にコンクリートのボックスがあり、その横には門扉から玄関までの長い階段が続いています。その家の住人は仕方なく毎日、二十段から三十段の階段を往復することになります。重い荷物を持っている時やお酒を飲んで帰った日にはしんどくて玄関まで辿り着くことが出来ず、途中で座り込んでしまったりする程です。韓国ドラマのお金持ちの邸宅でよく見かけるこんな動線計画は、一般家庭の間でも『金持ちそうに見える家』の公式のように使われています。

 

こんな風に私たちの暮らしの中で作られ、信じてしまっている『間違って積み重ねられた経験値』は驚く程に多いんです。とある施主さんが真剣な表情で私に質問をして来ました。

「家は流行に合わせて無難に建てた方が、簡単に売れるって言いますよね?」

これと言って嫌ではないけれど、特に惹かれるところも無い家が簡単に売れるのか? その答えは、残念ながら『いいえ』です。一人しかいない買い手の前に十棟の無難な住宅が存在するとしたら? そんな状況では、家を売りたいあなたの手に残されている武器は価格競争力だけです。家を売る為には売値をディスカウントしなければならないというのは、戦いにおいて自ら弱者に転落する一本道なんです。

 

それじゃあ反対に、あなたが望む通りの家を建てたらどうなるでしょうか? 先ず本人たちのライフスタイルに合わせて建てたのだから、暮らしている間の満足度はよっぽど高いでしょう。それに仕方なく家を売る状況になっても、先程の場合とは正反対の状況が繰り広げられます。

あなたの家は、比較する対象さえも無い『たった一つの家』なんです。その建物に充分な魅力を感じた買い手は『これは後悔しない選択だろうか?』という一点に関しての判断だけを下せばいいんです。訪れるかも知れないその日の為に不便さや不満まで受け容れて、無難な家を建てる必要なんて無いんです。それは五百年後に起こるかもしれない隕石の地球衝突を心配しながら地下シェルターで生活しているのと同じ位、愚かな判断ではないでしょうか。

 

『スタイル(Style)』という名詞と、そこから派生した『スタイリッシュ(Stylish)』という形容詞は、大抵の人なら皆が知っている簡単な単語です。しかし『スタイルがある家』と『スタイリッシュな家』が意味するところは厳然として違います。前者はその人の個性を表している、あるいはその人特有の一定の様式を持った家という意味であり、後者は流行に見合った格好いい家を指しているものです。そこで私はあなたに問いたいのです。あなたが今まで夢見て来たのは、もしかしたらスタイリッシュな家だったのではないでしょうか?

 

もしもあなたが本当に『スタイルがある家』を望んでいるなら、いつも見ていたもの、慣れ親しんだもの、流行しているものたちに背を向けなければなりません。みんなの為になる様で、実は誰の為にもならない経験値の世界から抜け出さなければならないんです。蚕が食べた栄養分を消化して絹糸を吐き出しながら繭を完成させる様に、あなただけの経験値を積み上げて、あなただけの世界を創らなければなりません。これは始めさえすれば、とっても簡単で楽しい作業なんです。自分だけの感覚をちゃんと信じ、その感覚を憶え込む訓練をしてみようじゃないですか。

戸建ての友人宅に遊びに行くのも手ですし、プーケットやバリ島に旅行してプール・ビラに泊まって見るのも良い方法です。古民家を訪ねて、軒下の縁側に座っているだけでもいいんです。オートバイに乗って太陽の光と土のニオイを思いっ切り感じてみるのもいいんじゃないでしょうか。

戸建ての住宅での暮らしを夢見るあなたには、素敵な時間と新しい空間に対する体験が大切なんです。ただ自分自身の感覚だけを信じ、感じて、憶え込む。そんな経験を繰り返していれば、あなただけのスタイルが見え始めてくるはずです。