検索ばかりに没頭する施主さん達、彼らから消えた想像力 【2015年11月号掲載】

数多くの施主さんたちに会いながら最近実感している変化が幾つかあります。 求めている住宅のスタイルや嗜好の変化は勿論のこと、「家を建てよう」と決心した理由や動機が変わったとも明確に感じます。そして、大きなトレンドとして考えた時、ほんの数年前と比較しても施主さんたちの平均年齢が下がっているという事実を否定できません。彼らは既存世代の施主さんと同じように悩み、オンライン空間を通じて多くの情報とイメージを探索しスクラップしています。彼らの世代は相対的に幼い頃から「検索する」という作業に慣れているので、そんな作業や努力を「生活の一部」、当然の事のように考えています。 しかし、そんな施主さん予備軍の人たちの努力が、逆に「毒になっている」場合も頻繁に見受けることが出来ます。彼らがこのような袋小路に入り込んでしまった理由は一体何でしょうか?「いい家」を建てる為に一生懸命資料を検索することが、実は施主さんにとって「得よりも損」になってしまうのには明確な理由があります。そしてそれは誰か一人の、個人の責任ではありません。

 

その理由について説明しましょう。

最初に、写真や動画を通じて得られる「視覚的なイメージ」は、文章を読んだり音で聞いたりする時よりも遥かに多くの情報を内包していて、かつ簡単に伝達されます。そして二つ目に、メディア(媒体)の特性を説明する時に使われる概念に「クールメディア(Cool media)」と「ホットメディア(Hot media)」という概念があります。この二つの属性を区分するキーワードは「情報に接する人の能動的な態度」と「想像力が必要な程度」です。代表的なクールメディアとして挙げられるTVは、視覚と聴覚を総動員しながら全ての情報を私たちに伝達しようとする属性を持っているので、TVを見ている人は「非常に受動的な立場」であっても充分にその情報を吸収し、活用することが出来ます。つまりTVは「私たちに何の想像力も要求せず、全ての説明を勝手にしてくれる」親切なメディア(媒体)だということです。その反面、代表的なホットメディアである印刷媒体やラジオの場合は、私たちに「情報を受け入れようとする積極的で能動的な態度」を要求します。この二つの事実が私たちに示唆している教訓があります。写真のような参考資料を熱心に探す事自体は良いのです。視覚的なイメージが持っているメディア(媒体)の特性のお陰で、一見しただけでもその内容を簡単にその把握することが出来ます。それは否定できない事実です。しかしその反面で、そのメディア(媒体)の特性のせいで私たちは「より積極的な態度でその情報を活用」することが出来ず、私たちの想像力を動員しようともしなくなっているのです。数多くの施主さんたちは気に入ったイメージを出来るだけ沢山スクラップし、「家づくり」の最初の一歩で建築家や工務店の担当者の前でその資料を広げます。しかし、大部分の場合においてその結果は芳しいものではありません。現実的な要件・環境の為に実際の設計には反映できない場合が殆どであり、その努力にも拘わらず「期待していたイメージ」を導き出すことが出来ず諦めてしまう場合もあります。中には、あまりにも欲張りすぎて「絵に描いた餅の詰め合わせセット」のような家を建てる為に多額のお金を使う人もいます。このような「空虚なエンディング」を最初から予想していた施主さんは、この世に唯の一人として居なかった筈なのに、です。

 

それでは、私たちはどうすれば良いのでしょうか? 能動的な態度と想像力が必要だと言うけれど「どうやって、何を想像すれば」失敗を経験することなく、望んだ結果を得ることができるのでしょうか?

 

「理由を想像してみよう。理由を想像できるように、目の前の現象を分解し、もう一度組み立ててみよう」

これが、私が見つけた方法です。あなたは気に入った写真をスクラップする作業は今まで通りに続けながら、そこに新しい二つの習慣だけを追加すればいいんです。

一つ目は、その写真を気に入った理由、つまりあなたの心が動かされた理由が何だったのか、を考えてみることです。その理由が色彩なのか、形態なのか、質感なのか、それともそれらの要素たちのコンビネーションなのか、を考えてみることです。「この空間は、この軒下の空間が気持ち良さそう」「このキッチンの配置は使い勝手が良さそうだ」といったように、あなたが自分自身に説明するつもりで写真をスクラップしながら考える習慣を身に付けてください、という意味です。自分自身の判断基準、選択の理由を細分化し、もう一度組み立てて見ることで「自分自身が望んでいるもの」を客観的に分析してみること、それがあなたにとって必要な第一歩、一つ目の習慣です。

そして、二つ目の習慣は「彼らがその答えを出した理由を想像してみる」ことです。この地球上に存在する全ての建築物は、自らに与えられた問題に対して施主さんや建築家が答えを出した「答案用紙」です。それなのに私たちは「答案用紙」そのものだけに目を向けて「いいね」「気に入った」「カッコいい」と評価しているのです。しかし二つ目の習慣を身に付けた時、見えてくる世界は明らかに変化します。

「彼らがそのような答えを選択するしかなかった理由は何だったのだろうか? 短所を補おうとして、発想の転換に繋がったのかな?」

あなたの目の前にある「答案用紙」の答えを分解し、再び組み立てて見ながら「彼らがそうした理由」を探す事、これが、あなたが身に付けなければならない二つ目の習慣なのです。ここまで説明した内容を読んでも、この二つの習慣を身に付ける必要性を感じないとか、その作業を拒否すると言うのならば、それはあなたには想像力と論理的な思考能力が欠けているという事実を自ら立証しているようなものです。

 

「家造り」という作業を別の言葉で言い換えれば、それはまるで「完璧な答えもなく、正解もない試験問題を解く作業」とも言えます。限られた予算と限られた床面積、問題だらけの建設予定地の要件など「家造り」の環境はその度に違います。いつも何かが新しく、何かが変化した応用問題が主題される、それが「家造り」のもう一つの姿なのです。手を動かし、その目で確認するという物理的な行動が必要なのではありません。新たな苦労をする必要もありません。ただ、あなたの頭と心の中に新しい習慣を二つだけ付け足せばいいんです。その小さな変化が「大きな結果の違い」をもたらしてくれる筈です。

「良い家」の4つのキーワード 【2015年10月号掲載】のあとがき

このコラムを私が書くきっかけになったクルマ、それはシトロエンのC4カクタスというクルマです。

 

(画像出典:WebCG)

 

4つのキーワード、即ち「デザイン・快適さ・技術・手頃な価格」を具現化したクルマです。日本には650台程度しか輸入されなかったので、街角で頻繁に見受けられるクルマではありません。手頃な価格をキーワードに挙げ発売されたのですが、(軽量化にも配慮され車重は1070㎏しかありません)製造原価が高く、いくら売っても利益が少ないと云う理由で早期に生産終了、というオチがついてしまった悲運のクルマです。派手さも突出した性能もありません。ついてない装備の方が多いかも知れません。でも「これで充分なんだよな」と思わせてくれる不思議なクルマです。外国で住んでいた頃、シトロエンのディーラーに行って新車で買うことも考えたのですが大蔵大臣の反対で不発に終わりました。

 

実はクルマと家っていろんな面で似ています。様々な製品技術の結晶体という面、スペック・性能だけでは語れないという面が似ています。そして多分に感覚的(美的感覚も含む)な判断が介入する商品だという面でも似ています。だから自分は設計の仕事を始めた頃からクルマに対する選択基準にも大きな変化があったような気がします。「使うことのない高性能、そんなもん糞食らえ」という方向に変わりました。

 

 

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「良い家」の4つのキーワード 【2015年10月号掲載】

鋭い方は既にお気づきかも知れませんが、この雑誌も今月で通号200号を迎えました。21世紀が始まる前年の1999年2月から始まったこの雑誌の、長いと言えば長い歴史、短くはない足跡の中で、私も22番目のコラムを書いています。「200号」という立派な中間地点を共に迎えることが出来たという事実を光栄に思いつつ、今回のコラムを始めようと思います。

 

“The car that answers today’s questions”

 

「今現在の要望を満たしてくれるクルマ」 数日前こんなヘッドラインで始まる、とある自動車ブランドのプレスリリースをオンライン上で目にしました。このプレスリリース中で、私の心に響き、私の記憶に刻み込まれた一節があります。

「私たちはこのクルマの特徴を4つのキーワード、即ち『デザイン・快適さ・技術・手頃な価格(Design・Comfort・Technology・Affordability)』と表現します。 この全ての要素はドライバーの豊かな暮らしを実現する為に導き出されたものであり、これは1948年にデビューした2CVのフィロソフィーともその脈絡を共にするものです」

この一節が私の心に響いた理由を説明しましょう。第二次世界大戦以降、時代を超越して大衆からの幅広い支持を受け、自動車産業の発展史に光り輝く「アイコン」と呼ばれるクルマが何台かあります。これらのアイコンたちは、それまで富裕層の専有物であり「優雅な乗り物」に過ぎなかった「自動車」を、私たちが「贅沢品ではなく実用品として共有できるもの」つまり「大衆車」へと変換してくれたクルマたちです。ドイツの国民車フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)は 1938年から2003年までの66年間になんと2,150万台が生産されました。イギリスのBMCミニ(今はBMWのミニ)は1959年から2000年までの42年間に約530万台が、イタリアのフィアットのヌオーヴァ500(通称フィアット500)は1957年から1977年までの21年間に約400万台が生産されました。そして上で引用した一節の中で言及されたフランスの国民車、シトロエンの2CVは1948年から1990年までの43年間に約387万台が生産されました。私はこれまで、これらの車種が大成功を収めることが出来た理由、これほど長い期間にわたって大衆に受け入れられ人気を博した理由について、いつも疑問を持っていました。

「長い期間の間変わらない価値を持ち、暮らしの中に溶け込んでその一部分となる為には、一体どんなフィロソフィーが必要なんだろう?」

その答えを知る事が出来れば、私が今後設計という作業を続けて行くにあたって必要な大きなヒントになるのでは、と考えていました。そんな私の目に、この一節が飛び込んで来たのです。あまりにも簡単で明快な4つの単語を私に教えてくれたのです。この一節は、長い間私を悩ませていた「答えを見つけられないもどかしさ」を一瞬のうちに吹き飛ばしてしまったのです。そして私は当然な事のように、この一節の「自動車(Car)」という単語を「家(House)」に置き換えていました。

“The house that answers our questions”

私たちの希望を叶えてくれる家、「良い家」の特徴は4つのキーワード、即ち「デザイン・快適さ・技術・手頃な価格(Design・Comfort・Technology・Affordability)」で表現されます。これらの特徴はその家で暮らす人たちの豊かな暮らしを実現する為に導き出されたものであり、これは半世紀前も今も変わることのないフィロソフィー、価値なのです」

 

古代の人たちが物質世界を構成する要素として4つの元素(element)、即ち風(Air)・水(Water)・火(Fire)・土(Earth)を挙げ、それらの相互作用と均衡の中で数多くの物質が生み出されていると信じていたように、私たちは今この時代に「デザイン・快適さ・技術・手頃な価格」という4大要素を再び信じる事で、その相互作用と均衡の中から「これから進まなければならない方向性」を見つけられるのではないでしょうか? 

その始まりには「使う人の快適さ」という純粋な目的だけが存在し、その目的を実現させる為だけに技術は選択されるので「過剰さも物足りなさもない」技術が「快適さ」を保証してくれます。その技術を選択した結果としてデザインは形態を決めて行くことで「理由のある形」を持つようになります。そして、これらの全ての相互作用は大衆が受け入れられる「手頃な価格」という枠の中で行われます。だから、その結果物がもたらす恩恵を大衆が公平に共有することが出来るのです。このようなフィロソフィーを持った方法論、プロセスの前では、今まで当然のことのように思われてきた沢山の物事がその意味を失います。その瞬間の目新しさや、設計者の美的好奇心や自己満足の為のデザイン、施主の財力や権力を誇る為の贅沢な装飾や様式、設備、そんなものたちがこれからは「無意味な付加価値」や「コスパを低下させるだけの無駄な成金趣味」のように目に映ることになるでしょう。高性能、高気密、高断熱も良いでしょう。システム・サッシも3リッター・ハウスも良いし、性能試験の立派な結果も認めましょう。果敢でカッコいいデザインも認めましょう。しかしその全ては、その家に暮らす主人公たちの「快適さ」の為のものであり、その主人公たちにとって「手頃な価格」という範疇に収まっている時にだけ、その価値を認められて然るべきものなのです。

 

私は今から17年後、この雑誌が通号400号目を迎える日のことを想像して止みません。そして、その日を迎えるまでの間、毎月発刊される各号にどのような住宅が紹介されるのだろうか、と期待に胸が躍ります。これから出会うことになるだろう数多くの住宅の中に、私たちの希望を叶えてくれるものがより一つでも多きことを期待しています。そして最後にオリジナル・ビートルやオリジナル・ミニ、2CVのように記憶と記録に延々と残る『傑作住宅』が、この誌面を通じて紹介される事を、切に期待して止まないのです。

 

 

【赤い王冠 第1巻 ティエラ村のお祭り】について - Mydengのブログ

【赤い王冠 第1巻 ティエラ村のお祭り】

私が翻訳した韓国の小説の紹介です。10歳位の子ども達が主人公のファンタジー小説です。現在のところアマゾンでしか買えません。
 
 
紙の本の他にも、kindle サービスならスマホやタブレット端末で読むことが出来ます。翻訳しながらも面白くてハマった小説ですので、皆さん是非読んでみてください。鳥山明先生の作品が大好きな韓国の女流作家が描いたペーソスと笑いがある「星の王子さま」みたいな雰囲気の作品です。
 
作者の尹さんは現在、シリーズ第2巻を鋭意執筆中で80%程度は書き進んでいるとのことです。

著者近影

不信の時代を生きる私たちにとって 【2015年9月号掲載】のあとがき

結局は11年前に最近の世の中の風潮を予見していたのかも知れません。

情報過多の時代、フェイクニュースが蔓延する時代、そんな時代の中で生きて行く為に「あなたに必要な情報を、あなたに必要な質問を、あなた自身が導き出してください」と言いたかったんだと思います。自分はこれからも、得なければならない結果とその結果を生む状況、その状況を作り出す前提条件、という観点から「自分の質問」を見つけだして行きたいと思っています。

ちなみにこのコラムで紹介した寓話の答えですが、私は正解しました。

 

 

不信の時代を生きる私たちにとって 【2015年9月号掲載】

「一体誰の言葉を信じて、どんな言葉を信じれば良いのか…」

こんな悩みに耽る時には、その情報がどんな立場、態度、観点から出たものなのかを知ろうと私たちは努力します。それが施主側の意見なのか、もしくは業者の営業トークなのか、その裏に隠された意図を明らかにする事こそが、不安な私たちの未来を決める為の核心なのでは、と思います。そんな状況では、自分にアドバイスしてくれる心強い助言者(アドバイザー)が居てくれたら良いのに、という考えが頭をよぎります。悩み事について何でも明確な答えを出してくれる程度に博識で、後悔の無い選択が出来るよう導いてくれる援軍が居たら、どれ程素晴らしいでしょうか。しかし、そんな相手でさえも「信じてはいけない人だった」という事実に後々気が付いて、私たちは後悔へ向かう細い路地に入り込み、絶望します。この二段階の悩み事、即ち「誰のどの言葉を信じれば良いのか判らない」という悩みと「その悩み事を解決する為にも良い助言者に出会いたいんだけど、そんな人に出会えるかな?」という悩みは、本質的には同じものです。例え話をすれば、こんな話です。相手が私に言っている言葉が真実なのか嘘なのか、識別する為に嘘探知機を借りて来たけれど、その嘘探知機がきちんと作動しているのか、私の前でその機械を操作している人が詐欺師なのか、を確かめる方法は無いと言ったところです。

「家造り」を前にしてこんな事を悩み続けていると、人生で最も幸せな作業な筈の「自分だけの家造り」が、いつの間にか自らを苦しめる「悩みの種」になってしまいます。こんな悩み事が本当に必要なのでしょうか? 今日は私と一緒に振り返って見ましょう。

 

先ず、論理学の例題でもある一つの偶話を紹介しようと思います。

「貴方は旅人です。道を歩き続けて来た貴方は、道が二つに分かれる分岐点に差し掛かりました。その分かれ道の片方は『真実村』へと繋がっていて、もう片方は『嘘つき村』へと繋がっています。『真実村』の住民たちは絶対に嘘をつく事が出来ず、ただ真実だけを語ります。反対に『嘘つき村』の住民たちは絶対に真実を語る事が出来ず、嘘だけをつきます。今、貴方の目の前にある分かれ道の分岐点には、二つの村の中のどちらの出身なのか判らない人が一人座っています。貴方は『真実村』へ必ず到着しなければならず、分岐点に座っている人に対して、一つだけ質問する事が出来ます。貴方は何と質問しますか?」

 

この寓話は私たちの「頭の痛い現実」と似通っています。人生で何度も突き当たってしまう状況、誰を、そして何を信じて良いのか判らない状況で、私たちは余りにも簡単に「相手がどんな人かを知らなければならない」と結論を下します。だから、この寓話を聞いた80%近くの人々たちは「貴方はどの村出身の方ですか?」という質問をしなければならないと答えます。しかし問題の核心となるポイントは「望まない結果を避ける事」なのであって、相手が「良い人」であろうが「悪い人」であろうが、関係は無いのです。詐欺師が目の前にいても「私に対して詐欺を働けなくする」制度やルールが必要なのです。今まで慣れ親しんできた「相手が信用できる人でなければ」という観点は私たちの無駄な思い込みであって、目の前の問題を解決する為の核心、絶対必要条件ではないのです。もしかしたらこんな話は思考のパラダイムを変えない限り、あまりにも情の無い冷徹な話のように聞こえるかも知れません。しかし相手が「良い人」なのかどうか、100%の確率で識別する方法が無い現実の中で, 私たちはこの寓話の主人公の立場に立ち「私がしなければならない質問は何なのか?」について悩み、考えてみる時が来ているのです。私はこの社会が不便さと葛藤を生み出すのではなく、皆がその公平性に満足して納得できるシステムを生み出して欲しいと思います。そんなシステムが完成する日が来たら、家造りの現場で無駄にする時間と悩みの種は減る筈なのです。建築家や工務店、資材販売業者、土木会社、そして施主さんの「無駄な嘘」は全て無力化されてしまうので「十年早く老ける」ことも無く、今より遥かに気楽に家を建てることが出来るでしょう。

 

最後に、この寓話の正解を紹介します。質問をする前に「得なければならない結果」と「その結果を生む状況」について悩み、その状況を作り出す前提条件を先ず把握してこそ、私たちは質問を見つける事が出来るのです。

 

「真実村(A)に行きたくて、嘘つき村(B)に行ってはいけない。ですから、目の前に座っている人物(ミスターX)が、どちらの村の出身であろうと関係無く Aの方向を指し示すような質問をしなければなりません。『あなたはA(B)の出身ですか?』という質問は、何の役にも立ちません。答えが一つにまとまりはしますが、元来方向を尋ねる質問ではないからです。また『こちらがA(B)ですか?』『どちらの方向がA(B)ですか?』という質問も、役に立ちません。回答が両方向に分散するしかないからです。しかし私たちは、ここで一つのヒントを得る事が出来ます。ミスターXが無条件でAを指し示す様に仕向ける質問は、彼がB出身の場合の『嘘』とA出身の場合の『真実』が一致する質問でなければなりません。言い換えるならば、ミスターX が、その出身の違いによって『反対方向に行った行動』について質問してこそ、答えは一つに集約されます。私たちがしなければならない質問は、正にこれなのです。

『あなたは、どちらの方向から来ましたか?』」

 

 

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現実と虚像の狭間で 【2015年8月号掲載】のあとがき

このコラムでも韓国の国民性について結構批判的なことを書いています。 

 

皆さんが殆ど知らない事実を一つ。

①植民地になる場合は、その大部分が戦争(戦闘)の結果であって、国王自らが外国に無血で国を引き渡した例は殆ど無い。(自らの憲法の落とし穴で国を失ったハワイ王国のような国もありますが…)

②第二次世界大戦の終結後、「帝国主義の否定」と共に起こった「民族自決主義」の波。世界では数多くの国家が「独立運動・独立戦争」を経て現在の主権国家としての姿を勝ち得ている。このような「独立闘争」を経ずして独立した例も殆ど無い。

 

さて、この①②両方に該当する、つまり「国王自らが無血で国を引き渡し、独立戦争を経ず他力本願で独立した国」はどこでしょうか?

 

 

 

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