住宅建設の現場で瑕疵は誰のせいなのか?【2014年7月号掲載】

以前、郊外にある宅地で戸建て住宅の設計を依頼された時のことです。

その宅地は傾斜地を階段式に造成し、合計三十二の敷地に分割されていました。敷地の基準となる地面の高さ(レベル)に一定以上の高低差があるので、当然のことのように擁壁工事が必要でした。そこで各敷地を手に入れた施主さんたちは代表団を選出し、宅地全体の擁壁工事を行いました。ところが、その工事が終わって十カ月も経たない内に問題が発生したんです。上の敷地の土砂が下の敷地の方に次から次へと流れ込み、石積みの擁壁の一部は完全に崩れ落ちました。そこで施主さんたちは土木会社に対して手抜き工事の責任を追及し、補償と事後処理を要求することにしました。

 

私がクライアントと一緒に現場を訪れた当日、丁度施主さんの代表団は擁壁工事の担当業者を呼び出して、現場検証をしていました。代表団の人たちは「手抜き工事なのは明らかなのだから、無償で補強工事をしろ」と抗議しましたが、現場監督は「手抜き工事じゃありません」という言葉を繰り返すだけでした。彼の態度にしびれを切らした施主さんの一人がこう言いました。

「じゃあ、アンタ。アンタの家族が、ここに家建てて住んでるって仮定して見ろよ。アンタの娘さんが、この擁壁の前で走り回って遊んでて、アンタ安心できるのかい?」

その現場監督は言葉を返すことが出来ませんでした。

 

その後、私はクライアントと代表団の中の数名の方と一緒に昼食を食べる事になりました。彼ら手抜き工事の話をしながら、私の意見を求めて来ました。私は逆に土木工事の内訳について幾つかの質問をしてから、こう返事をしました。 

「土木業者が、その予算ではちゃんとした工事は無理だと言いませんでしたか?」

                                                         

韓国の社会に蔓延している『安全不感症』という病は「安全については考えるな」という「悪意」に端を発している訳ではありません。その根底にあるのは『金額に合わせて仕事をすればいい』と考えている業者の態度と、『予算に合わせて仕事をしろ』と無理強いする発注者側の態度です。

 

例え話で説明するならこんな話です。あなたはオーダーメイドの依頼を受け、自動車をカスタムしているエンジニアです。ある日、新しいクライアントが訪れ、あなたにこんな注文をします。

「500馬力のエンジンで最高時速300キロ、車重2.5トンぐらいの頑丈なボディのスーパーカーを頼むよ。ただ予算が無いから、ブレーキとサスペンション周りは軽自動車用のパーツでお願いね」

ここで一人目の『安全不感症』の患者は、注文をしたクライアントです。そしてこの注文をそのまま受け入れた瞬間、あなたも二人目の患者さんになるのです。自らが『安全不感症』の患者になる事を拒否するエンジニアならば、クライアントにこう返答しなければなりません。

「自動車は、どんな場合でも安全に停まれるように造らなければならないんです。だからブレーキとサスペンションも車体やエンジン出力と同じレベルでバランスが取れてないと駄目なんですよ」

しかし残念な事に、現実の世界でこんな返事をする事は困難です。正しい主張をするあなたに返って来るのは、顧客の不満に溢れた眼差しです。 

(それらしい理由付けて、高く売りつけようって魂胆か? オレが自分の金払って仕事をやるって言ってるのに、何を偉そうなこと言ってんだ? オレも調べる事は全部調べて来てんだよ!)

 

施主は自分の予算に合わせて業者に仕事をさせ、業者は施主が支払う金額に合わせて仕事をするという現実が『安全不感症』という病原体をまき散らしています。私たちは加害者であると同時に被害者として生きているのです。そして不幸な事に、戸建て住宅の建築の現場でも同じ事が繰り返されています。一部の施主さんたちは、現実には存在しもしない『坪当たりの工事費』という亡靈を追いかけて業者を選択し、図面を元に正確に物量が算出された見積りを出されても『安くしてよ』と泣きつきます。そして工事が終わる頃になると、どんな理由を付けてでも残金を値切ろうと躍起になるんです。

半面、殆どの業者は契約書にサインをさせようと、聞こえの良い『坪当たりの工事費』で施主さんを誘惑します。そして見積りを出す時には、工事費残金の未回収に備え、その分だけ見積りの金額を水増しします。そんな消耗戦の果てに『予算に合わせて』仕事をさせ、『金額に合わせて』仕事をする、悪循環の底なし沼へ皆が足を踏み入れているんです。

 

「幸せな家造り」は、お互いに対する認識と関係を変えるところから始まります。施主さんと建築家、施工業者がお互いに『より多く』を奪取しようとするならば、その現場は不幸になるしか残された道はありません。お互いに「共同のミッションを成功させる為に協力」してこそ、各自がより多くの利益を得る「プラス・サム・ゲーム」に変わる瞬間が訪れるのです。

私と相手、ではなく「私たち」という関係を作り上げる為には、互いに心を開いて質問をし、相手の返答に耳を傾けるという努力が必要です。そんな時間を通じて「私たちの幸せな家造り」が増えて行けば、知らず知らずのうちに『安全不感症』という慢性の病も徐々に癒されて行くんじゃないかと、私は期待しています。