POWER TO THE PEOPLE【2014年9月号掲載】

数日前ソウル市内でクルマを運転していた時、とあるカフェの前にあったバナーを見て私は自分の目を疑いました。

「かき氷 一万二千ウォン」

 

「平均的な昼食代よりも高いかき氷を誰が食べるんだろう?」

「多分、店舗の賃貸料を値段にそのまま上乗せした価格なんだろう」

私は心の中でそう思いました。何はともあれ、それは私にとって『想像を絶する』価格でした。

海外では、このような『想像を絶する』価格を見つける事は簡単ではありません。それぞれの国に消費者が常識的に考えて受け入れられない「価格の上限」というものが明確に存在し、その価格を超えると売り上げが減少する事を、商売をする側も熟知しているからです。そんな観点から見て、韓国の多くの消費者は自らの権利、すなわち合理的な価格なのか判断し、その「価格の上限」を超えた製品に対して「購入を拒む権利」を放棄しているんじゃないかと思います。もしくは不満はあるけれど、止むを得ず受け入れているのかも知れません。

 

消費者の心の中に「価格の上限」が形成されて行く過程を考えると「韓国の消費者は『流行』とか『人気』とかいう実体の無い単語に寛大過ぎて、惑わされ過ぎているのでは?」と思わざるを得ません。例えばその店舗がチョンダム・ドン1)やソレ・マウル2)にあるというだけで、美味しくも無い料理のプレミアム価格を受け容れなければならない理由は一つも有りません。私たちには支払う金額に対して最高の満足感を求める権利があり、満足できない店を拒否する権利があるんです。それにカロス・キル3)に入り浸っているからとファッショニスタや特別な人になれる訳でもないし、高価なブランチを食べたからと言って格好いいニューヨーカーになれる訳でもないんです。その全てはいたずらな『イメージの消費』に過ぎません。にもかかわらず私たちの周りには、いたずらな消費を誘発する『からくり』が溢れかえっているんです。

1)チョンダム・ドン :  グッチ、ルイヴィトン、ロールスロイス等のショップ&ディーラーがある街

2)ソレ・マウル:別名「教授村」「フランス村」で呼ばれる高級住宅街

3)カロス・キル:若者向けのアパレルメーカーの旗艦店が立ち並ぶ通り。

 

こんな状況は食べ物とかファッションだけでなく、殆ど全ての品目で見受けられます。皆さんが多大な関心を持っている『家造り』の世界でも、いとも簡単に見受けられる現象です。勿論こういった『イメージの消費』の全てが悪いと言っている訳ではありません。しかし一方に偏った浪費をしてしまうと本当に必要なところに投資する機会と余力を失う事になります。供給のアンバランス、それがこの問題の核心なのです。

 

これまで多くの施主さんたちから頻繁に聞いた言葉があります。

「あのぉ、信頼できる施工業者を紹介してもらえませんか?」

そして彼らは「周囲の人たちが家なんて建てるな、と引き留めるんですよ」と心配そうな口調で言い、家を建てたことのある知人たちの失敗談と苦労話を語り始めます。そんな日常を繰り返していたある日、こんなアイデアが私の脳裏に浮かんできました。

「果たして、どこまでが事実なんだろう?」

施主さんたちは合理的な家造りを望んでいるのに、まともな業者がいなくてこんな状況が続いているのでしょうか? 何が真実なのでしょうか?

 

『一万二千ウォンのかき氷』のような『受け入れがたい』価格は、供給する側だけの問題ではなく消費する側にも問題があったから発生するのだと思います。いたずらな『イメージの消費』に偏った供給のアンバランスについても同様です。消費者が合理的に判断して自らの選択を行っているなら、非常識な業者たちは売り上げが伸びなくて結局は淘汰されてしまうはず。それが市場の基本原理である「需要と供給」の相関関係です。にも関わらず施工業者を信じる事が出来ない施主さんたちの声がこうにも聞えて来るのは、次のような「不都合な真実」を逆説的に証明しているのも同然なのです。

「今までの韓国の多くの施主さんは、合理的な『家造り』の道を選ばなかった」

「合理的な選択よりも、本人が聞きたい事を言ってくれて、わがままを聞いてくれる業者を選択する傾向が強かった」

「業者が言う事を信じたいという思いが強すぎるあまり、その内容をきちんと検証しようとする努力を疎かにして来た」

 

『家造り』の先輩たちが合理的な判断と選択によって「需要と供給」のバランスを保って来たなら、信頼出来ない施工業者に対する悪評と同じだけ、信頼出来て良心的な施工業者に対する噂話も皆さんの耳に入って来なければ異常なんです。

建築家や施工業者の中にも良心とプライドを持って、より良い家を設計し建てようとする人たちは存在しています。今までも「合理的な供給」の為の努力はちゃんと存在したんです。しかしそんな努力の殆どは不幸な事に、施主さんに対して大した説得力を持つことが出来ませんでした。そして反対に多くの施主さんの好みに合わせ、こんなセールス・トークを繰り返して来た業者たちが選ばれて来たんです。

「これが近頃の流行なんです」「やっぱり家を高級そうに見せたかったら…」

彼らに向かって「誰も選んでくれないけど、良心的な業者であれ」と強制する権利は、残念ですが誰にもありません。

 

私たちには「無駄な物でない、良い品物を手に入れたい」という「合理的な選択」に対する欲望があって、又その権利もあります。「一生の間に手に入れられる限られた財貨と時間を上手に活用しようという努力」のもう一つの名前が『暮らし』です。そして合理的な選択と消費を通じて「信頼できて満足できる需要と供給のバランスを創り上げていく」という作業は『ちゃんと生きてみる』と同義語だとも言えるんです。だから私たちは諦めずに努力を続けなければならないんです。

 

多くの人が「世の中は簡単には変わらない」と言います。そして「現実に合わせて生きなさい」とも言います。しかし考え方を少しだけ変えれば、世の中は意外と簡単に変わるんです。相手が変えてくれる待つのではなく、自分から変え始めればいいんです。今も社会はそうやって変化をしている過程にあり、今私たちが居るのはゴールじゃなくて通過点に過ぎないんです。施主さん自らが少しずつ変わり始め、そんな施主さんが増えれば増える程、この世の中は良くなって行きます。そうすれば合理的で信頼できる業者が世の中に溢れかえる事になり、「家造り」は今より一層簡単になると同時に、楽しくて幸せな作業になるはずです。

私たちが自らの権利を取り戻した瞬間、楽しい未来がやって来るんです。