建築が造ってしまった隣人のいない暮らし【2014年10月号掲載】

私は韓国に来る以前にはマンションというものに住んだことがありませんでした。 五歳の時から平均的な大きさの一戸建ての住宅に住んでいましたし、私の母親は今でもその家に住んでいます。私が住んでいたその町は数百年前からある、とても平凡な日本の地方都市です。

幼かった頃の私には沢山の「ご近所さん」がいました。小学校の通学班で一緒だった友だちの両親だけでなく近所の大抵の大人たちは、私がどこの家の次男坊なのか知っていて、私はそんな近所の大人たちに自然と挨拶をして育ちました。その町を離れてから三十年近く経った今でも「ご近所さん」は懐かしそうに挨拶をしてくれて、私が幼かった頃の思い出話をしてくれます。今この歳になっても私が暮らしたその町と「ご近所さん」は、私の幼かった頃を形取っていた大切な一部分だった事には間違いありません。

 

韓国に来て初めてマンションというもので暮らし始めました。私はマンションという『住み方』に長い間馴染めませんでした。五階建ての建物に階段のシャフトが二つ、それぞれのシャフトの両側にそれぞれの世帯が配置されていたので各棟に二十世帯が住んでいた訳です。しかしどれだけ時間が経っても、私はマンションの同じ棟に住んでいる人たちと仲良くなれませんでした。隣人として挨拶する機会も無かったし、誰が何号の家の旦那さんで誰が何号の家の息子なのか、知る手立てもありませんでした。私は知り合いが一人もいない建物の中で、彼らと一緒に生活をしていました。

 

固く閉ざされた他人の家の玄関のドアを叩いたり、呼び鈴を押したりするのは難しい事です。しかし子供の背丈ぐらいの塀を間にして挨拶を交わすのは簡単です。そんな挨拶を繰り返しながら接していたある日、互いに自己紹介をして近所付き合いが始まります。人と人がお互いを知り仲良くなる契機は「目を合わせること」なんです。よく「人間は社会的な動物」だと言いますが、この「社会的」な行為が即ち「目を合わせること」なんです。

 

海外旅行をしていると、韓国社会との明白な違いを感じることがあります。外国で現地の人や旅行者と偶然出会った時、彼らは私と目を合わせとっても自然な表情で微笑んできます。彼らにとってそれは一つの習慣、日常生活の一部なんだろうなと思います。果たして私たちの社会はどうでしょうか? 私たちが知らない誰かと最後に会話をしたのは何時だったでしょうか? 自分や家族のバウンダリー(領域)を脅かす存在を門前払いする時でなく、会社の同僚や取引先との仕事上の会話でもなく、フード・デリバリーや宅配便を受け取る時でもなく、果たして私たちは誰かと隣人として接したり、社会的な存在として生きたりしてはいるのでしょうか?

 

こんな社会性の没落には、私たちを取り囲んでいる「建物」という器にも、ある程度の原因があるんじゃないかと思います。私たちの居住環境が、暮らしを窮屈で世知辛(せちがら)いものにしているんです。古びた住宅が密集した地域に行ってみると、塀の高さは二メーターを越えていて、塀の上面にはガラスの破片が埋め込まれています。マンションであれワンルームであれ、インターフォンの呼び出し音とモニターの画面だけを頼りにして全ての対応を済ませています。私たちは、自らが高すぎる壁を立てて「味方」と「味方以外」という二分法で世の中を判断しているんじゃないかと思うんです。そして「味方以外」の対象にはまるで関心が無く、批判的な態度で一貫するという傾向が段々と強くなっている気がします。こうやって自分と他人との間に確固とした線引きをする態度からは、『仲のいい隣人』という関係が成り立つ訳がありません。そんな他人同士が物理的な位置の関係、つまり「上の階の住人」と「下の階の住人」という関係で出会ってしまった時、そこには断絶と確執しか発生しないのです。

 

「社会的な関係が音を別のものにする」

こう言うと多くの人が怪訝(けげん)そうな顔をしますが、実際にそうなんです。上の階で駆け回る子供たちの足音や叫び声は、その物理的なボリュームが同じだとしても聞いてる人との関係によって全く違うものに聞こえるので、対応の仕方も全く違ってきます。自分の子供が二階で駆け回っているのなら、笑顔で「走っちゃ駄目だぞ」と言えば済む話だし、隣の家の息子チョルス1)が騒いでいるなら 「もう遅いから早く寝ような」と言い聞かせれば済むんです。では何故? 近頃は野球のバットを片手に持って階段を駆け上がるしか方法が無いのでしょうか?

1)チョルス:韓国では古典的でありふれた男子の名前。日本の感覚では「太郎」

 

今まで私たちは上下階の世帯間の騒音問題に対して、その解決の為に「防音基準を厳格化する」というハードウェア的な観点からの対応だけをしてきました。本当に大切な隣人との「関係の回復とコミュニケーション」は無視したまま。そんな訳で今私たちの社会には、建築業界で言うところの「中間領域」というものがとっても切実に求められているんです。

「私はこういう者ですが、あなたはどんな方ですか?」

そうやって世間の人たちと目を合わせ、挨拶できる舞台が「中間領域」なんです。以前は庭とか路地裏とかが、そんな役割を果たしていました。中間領域は、幼い子供たちが人間関係を学び社会性を身に付けて、大人たちの世界にデビューできるようにしてくれる『登竜門』みたいな場所でもありました。見解の違う人たちと意見を交わすことも出来ず、自分の主張だけを振りかざす『コミュニケーション喪失の時代』なんて誰も望んでいません。今の世の中にはデジタル機器が溢(あふ)れかえっていますが、人間はアナログ的な感覚と感性そして社会性まで兼ね備えてこそ、生きて行ける存在なのです。だから、私たちが幸せに暮らしていく為にも中間領域を暮らしの中にもう一度復活させなきゃ、と思うんです。中間領域の集合体である「町」を復活させ一緒に暮らしていく隣人に出会うという作業は、今の現実の中でも幾らでも可能です。そしてそれは共同住宅でも充分に可能な作業なんです。

 

今日も私は、玄関のドアから出た瞬間から緊張します。「自分」と「他人」というラベルしか貼られていない切替スイッチのような『コミュニケーション喪失の時代』を乗り越えていく事を考えると、緊張せずには居られません。けれど絶対に諦めはしないつもりです。社会を支配しているデジタル的な二分法から脱け出すにはきっと時間が必要で、一瞬にして叶(かな)ったり、その結果を直接目で確認できたりするものではない、と覚悟はしています。しかし、そんな努力は今までも少しずつ続けられていたし、それなりに成功したケースもありました。そして、そういった努力は確実に今後も続くはずだと信じたいのです。

 

そしていつの日か、何の緊張感も無く玄関のドアを開けて外に出たら、お隣さんたちと目を合わせて挨拶をして笑顔で暮らしていける日が来ることを夢見ています。 来月号のコラムでは、隣人との「関係の回復とコミュニケーション」を通じて幸せな暮らしを創って行こうという幾つかのケースを紹介しようと思います。